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沖縄旗


1950年に発表されたが、住民の関心が得られなかったため、琉球列島米国軍政府は「琉球の統合政府ができてから決める」と声明を出した。そして後継の琉球政府に引き継がれることもなく、そのまま幻の旗になってしまった。
沖縄旗 - Wikipedia


琉球政府に移行する前のゴタゴタですね。
この旗をめぐって面白い話があったので引用しておきます。

知事になった志喜屋[孝信]さんに米軍政府が乗用車を提供した。最初はジープだったと思う。ところがジープはワンサとあり軍用か知事の車かまぎらわしい。で、あるパーティーの席上、軍政官のロートンという大佐が「一つ、知事の旗をつくったらどうか」と提案したと聞いている。米軍の将官も車に旗をたてる。それに知事もならえばいいじゃないかということだったと思う。ところが施政者と対等となれば、知事の旗が国旗的な性格をおびてくる。それに志喜屋さん、副知事の又吉康和さんらも張り切られて、知事旗が国旗へエスカレートしてしまった。実際に通訳した方々に聞いてみないと明言はできないが、真相はそういったものだろう。美術家協会には知事官房から正式に依頼があった。知事旗をつくってもらいたいが、国旗になるかも知れぬから、そのつもりで、という。おっかなびっくりで引き受けたものだ。沖縄は、とうとう独立するのか、と心配もした。そのころ、中国帰属論も耳にして、やれやれ中国の領土になるのか、とわたしたちは少なからず憂うつだった。信託統治がどういうものか - 法律知識のないわたしたちも関心を持って、おぼろげながらわかりかけていた。信託統治には、その地域を将来、独立させる前提があるらしい。国旗をつくるのも、その準備かも知れぬ、とわたしたちは想像した。
おっかなびっくりで製作/山元恵一氏談 p257、258

美術村では、まず国旗のデザイン分類からはじめた。世界中の国旗を大別すると、ヨコに三色等分したのが30余、タテに割ったのが約20、十字のノルウェー型が7、米国旗のように星をあしらったもの9、ほかに日本をふくめて単独模様が2、3ある。沖縄が、そのうちどれをとるにしても、そっくり真似るわけにはいかない。といって余りにローカルをねらえば世界に押し出すのに力は弱くなる。船舶旗に面白いものがあるが、うっかりすると天気予報の旗と区別できない。尚家の左御紋も一案ではあるが、ナチのハーケンクロイツを連想させるので面白くない。 p255、256

沖縄旗を左御紋にしようと言い出したのは護得久朝章氏(当時、沖縄民政府財政部長)そうなれば尚家の人を知事に推さないといかんじゃないか、とカンカンガクガク、ついに取り止めとなった。
護得久氏が左御紋を提唱/松岡政保氏談 p259

沖縄の証言 激動の25年誌(上)/沖縄タイムス社 1971年発行 (抜粋と編集)


へたしたら左御紋になってた可能性もあったわけですね。
だけどこれは尚家(向家)の人しか言い出せない話ですわな(笑)。

王家の紋章は左三巴紋で「左御紋(ひだりごもん、フィジャイグムン)」と呼ばれた。
琉球王国 - Wikipedia
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