
昭和20年代の地図にある国際通り近辺のバス会社です。元図には無いので図には描きませんでしたが、栄町の
沖縄バスはこの時期にはあります。
wikipediaでは下記のように書かれています。
戦後の沖縄本島のバス路線事業は1950年4月1日に会社を設立した沖縄バスに始まり、50 - 51年には14社(沖縄バス、共同バス、首里バス、三共バス、沖縄交通(桜)、那覇交通(銀)、合同バス、昭和バス、あらかき平尾バス、協和バス、東陽バス、第一交通、青バス、那覇陸運)が乱立。あらかき平尾バスは寄留商人の平尾喜一と県人の
新垣義堅のものでした。
「近代沖縄の寄留商人/西里 喜行」の平尾喜一(1893〜1971)の項目によれば、「
戦後の2〜3年間、喜一は相互銀行や民間バス会社の経営に参画したが、晩年は事業への意欲を失い、放蕩的な生活によって借金をかさね、1971(昭和46)年死去した」とあります。
平尾喜一氏は戦前琉球新報社長(
沿革 琉球新報)、平尾商店社長時代に辻の
上江洲フミ(料亭那覇)を身請けしたりもしています。
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