戦後すぐの運転免許で古波鮫唯成さんが現那覇市役所の敷地で教習を受けたことを取り上げました。
那覇市役所は65年に
現在位置に移る以前は天妃小にあり、現那覇市役所の位置はバスターミナルだった時期もあります(現在のバスターミナル建設以前)。
時期的には国際通りの拡張(54年)が終わり、そこにあったバス会社の営業所が移動を余儀なくされて移動したということになるかと思います。そこから想像するならば教習所があったのは終戦〜54年までの間の一時期であろうと思われます。
残念ながら古波鮫唯成さんの手記以外には現那覇市役所敷地で自動車教習所があった記録や市内の他の教習所がいつ頃できたのかは調べられていませんが、「新郷土地図 第一巻/沖縄タイムス社(1957)」に那覇市役所の位置がバスターミナルとなっている写真があり、同じ写真をまちのたね通信で見ることができます。
那覇まちのたね通信 | 那覇(航空写真)/県庁前交差点(琉球政府、バスターミナル)/1954年頃
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1853古波鮫さんの話に出ている米軍交付の免許と沖縄側による免許は戦後しばらく両立していたらしいのですが、運転技術の差に問題があったため1953年以降は民間人は琉球警察のものに一本化されたようです。
また当初は1946年4月から民政府工務部陸運課において試験を実施して有効期限5年の免許証を交付していました。
参考:
グダグダ(β) 自動車運転免許1950年頃から始まった企業として自動車教習所という未確認のものがあるのですが、戦後経済のスタートがそのころですから事実である可能性は高いと思われます。
沖縄大百科事典による自動車教習所の説明では1953(昭和28)年頃から那覇に2ヶ所(安謝・首里)教習所ができたそうです。
この項目はいったんここまでにして、50年代くらいまでの自動車教習所は個別に調べていきたいと思います。
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