「沖縄の下水道よもやま話」から戦前の部分を抜粋します。
昭和10年12月、那覇市の下水道事業を実施するため、天妃町に臨時下水道事務所が置かれた。臨時下水道事務所の組織は経理係と工務係の2つの係から構成され、事務所の所長は市の水道課長が兼務するようになっている。
那覇市の下水道事業は特別会計で、昭和10年度の下水道築造のための予算規模は「弐満弐千五百円」であった。
昭和10年に着手された下水道事業は、昭和13年末には、排水管の延長15.9キロメートル、総排水面積90.43ヘクタールの管布設工事が完成している。(中略)
せっかく着手した下水道事業も4年度限りで、昭和14年度からは中断している。理由は、市の財政難も一つであると思うが、特に当時のわが国は、軍国主義で富国強兵をモットーとし、軍事力の増強に意を燃やしていた時代のため、直接、軍事に関係のない下水道事業にブレーキがかかったものだと思っている。
このようなことから那覇市の下水道事業も時代の波には逆らえず、遂に共用開始ができないまま、築造された下水道の全施設は、第二次大戦で破壊されたのである。
沖縄の下水道よもやま話/宮城保信 p4、5(抜粋と編集)最後の「
遂に共用開始ができないまま」というのがよくわからないのですが、工事は進んでいたが使用されなかったということでしょうか。また「供用」が使用開始の意であるかと思うのですが、抜粋は本のまま「共用」にしてあります。
「沖縄の下水道よもやま話」は戦後下水道建設に関わってこられた著者がまとめられた戦後沖縄下水道史ともいうべき本でした。著者の宮城保信さんはコザの都市計画課長、下水道課長から沖縄下水道公社、復帰後は県の土木や下水道関係を歴任されたようです。
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