「昭和沖縄園芸発達史」の巻末資料からの引用を続けます。
園芸作物の栽培技術の普及を図る為県農事試験場の園芸指導園と連絡し左記組合に指導圃を設置し移出園芸作物の生産改良発達に資せんとす
県指導圃設置計画左の如し
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真和志|国場|蕃茄10反、里芋1.5反|総計25
「昭和沖縄園芸発達史」資料1(p222、223) (抜粋と編集)昭和7年の実施計画の真和志は「
蕃茄2、茄子1、胡瓜1、冬瓜0、南瓜1、西瓜0、越瓜0、里芋1、甘藷0、菜豆1、木瓜0」。(参照:昭和7年度県立農事試験場園芸指導園配置計画表 p223、224)
割と先進的な規約。
第二条
移出農産物の生産並に販売の改善統一を図るを目的とす
第四条
第二条の目的を達せんが為本組合に於て施行すべき事業左の如し
共同採種圃の設置、共同育苗圃の設置、栽培試験地の設置、生産品の検査施行、生産品の共同選別荷造、出荷に要する諸材料の共同購入、視察員の派遣、講習講話会の開催、展覧会品評会開催、資金の造成融通、優良生産者の表彰、其他総合に於て決議せる事項
「昭和沖縄園芸発達史」資料1(p238) (抜粋と編集)資料1は昭和7年、資料2は昭和9年3月。
資料2の「出荷機関統制系統図」を参考にすると<部落生産出荷組合 - 市町村出荷組合 - 共同集荷場>の順で出荷され、この後は本土の販売斡旋所から中央卸市場、そこから問屋・仲買となったようです。
資料2の出荷組合設立成績(昭和9.2現在/p247)を見ると、昭和6年に18、昭和7年に77、昭和8年に120の「部落生産出荷組合」が設立されています。
「都市別組合調」(p248)では組合数合計221組合(5326人)、そのうち島尻郡で109組合(2525人)、那覇で3組合(33人)、首里で12組合(198人)です。
「市町村別組合調 2市10町村」((p248、249)では、
真和志村は13組合262人です。
「昭和8年度園芸指導圃設置表」(p273)では真和志は「蕃茄12反、茄子3反、菜豆7反、甘藍3反、大根5反」。
「園芸指導園配置表」(p274)では「蕃茄1、胡瓜1、南瓜2、里芋1、菜豆1、甘藍1」の7ヶ所あったようです。
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