昭和初期の組合設立や生産方法改善は農村であった真和志に少なからぬ変化をもたらしている印象を受けます。この辺ちゃんと調べられていないのですが、参考のためにいくつか書き留めておきたいと思います。
「昭和沖縄園芸発達史」資料1(の「県下園芸出荷組合長会協議事項 昭和7年9月」から昭和7年9月2日付の知事訓示を抜粋します(知事は井野次郎)。
本県の如く土地が狭少である上に人口が多く而も農業生産を於て県経済の根源となさねばならぬ実情にある土地では出来得る限り耕地の利用を集約的にして単位面積に於ける生産力を極度に発揮せしむることに着目せねばならぬと思ふのであります。県は此の点に鑑み之に関する奨励施設を行ひつつあるが移出農作物栽培の如きも漸く其の機運に向ひ最近では之が移出は年額約四十万円に達する様になったのであります。今後此方面に大に力を致し之が移出を促進せんとするならば必ず生産者の団体を組織し之によって生産の改良を図り其の生産物を共同的に出荷することを根本義となさねばなりません。県は曩に出荷組合の設立を奨励したる結果二市十七町村に亘り其数約七十に達しましたので茲に県下出荷組合長を召集し組合事業の整備充実に関し協議を遂げることにしたのであります。
「昭和沖縄園芸発達史」資料1(p214) (抜粋と編集)指定した作物を組合で共同育成し出荷量増大を目指す方針のようです。
「協議問題」からの抜粋と、「出荷組合と指定作物」から真和志村の箇所を抜粋。
ちなみに那覇は住吉(百合根)、垣花園芸(タマナ、トマト、ニンニク)、首里は4ヶ所。
移出農産物の品質を向上せしめ斉一品の大量出荷を図らんとせば生産の統制を行ふの要あり即ち適地適作物主義に基き出荷組合の栽培すべき作物の種類並品種を指定し優良種苗の供用、共同育苗、病虫害の共同防除、肥培管理等の改善事項は挙げて之を施し以て生産物の斉整に努めざるべからず依て各組合の栽培すべき主要作物種類並品種を左の通り指定栽培をなし出荷品の品質向上と出荷量の増大を図らんとす
「昭和沖縄園芸発達史」資料1(p216) (抜粋と編集)---
組合名|所在地名|組合長名|指定作物名
国場|国場|嘉数 昇|ナス、ニンニク、タマナ、里芋、菜豆、トマト、ビート
安里|安里|宮城亀千代|里芋、菜豆、ナス、ビート、ニンニク、トマト、タマナ
大道|大道761番地|富山嘉吉|甘藍、蕃茄、胡瓜、茄子、冬瓜、菜豆、パパイヤ、ニンニク、其他
「昭和沖縄園芸発達史」資料1(p216) (抜粋と編集)PR