このブログの中にもいくつか戦後すぐの兎ブームに触れていますが、「高倉幸次郎追想録」の中にある船越義彰さんの文章の中にも兎に関わった思い出がありましたので抜出してみます。
私は民政府の下っ端役人で、月給が220円だった。「内務書記に任ず」という辞令をもらった。兎が私の前にあらわれたのは、知念半島に住んでいた遠い親戚のばあさまが、「兎」を3匹ほど手みやげにぶら下げて来た時に始まる。そして「近頃はこの兎が高価で売れますよ」と私の祖母に教えた。祖母としては、病弱な私の薬餌として使いたいようだったが、同じ部落に住んでいる土地のじいさまから、「せひ、兎をわけてくれ」と相応のお金を見せられた。いくらだったか、よく憶えていないが、わたしの220円の月給と対比したのであろうか、祖母は即座に兎を売り払った。その後、二回ほど、知念のばあさまのところから取り寄せて売ったが、間もなくブームは去った。那覇の方でも、おそらく、そうであったろう。
高倉幸次郎追想録 p206、207義彰さんは戦後民政府に勤務、その後民政府と一緒に那覇に戻っていますのでこの話は那覇に戻る前の話でしょう。
兎は民間貿易開始以前の物資不足の一時期のブームだったようです。
参考:
グダグダ 民政府職員の移動参考:
グダグダ みなと村資料からの数字などPR