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会社の浮沈(久茂地)

「那覇の民俗ニュース」から「会社の浮沈」を引用します。

久茂地大通りのシッタイ道には素封家の屋根門と石垣が見事にならび、本土の大名屋敷のようであった。
明治の中期、大湾、宮里、桑江、新崎、喜久山、国吉、宮城、金城、渡嘉敷、与座、川上、仲地、賀数、与儀、阿波根、我部、小渡、平田、東恩名、有銘、福永、照屋、大田、勢理客、比嘉、宜保、名渡山、山田、南風原、我謝、富村家等の村内有名資産家が合資で貿易会社を組織し、○球商会(?)なるものをつくり、外国貿易で一稼ぎしようとたくらんだが、日露戦争後の不景気と寄留商人との競争に敗れて倒産し、大株主の我部、新崎、東恩名、有銘、川上、賀数、西平、松堂が銀行から差し押さえられた。我部家の土地は徳田某の手に落ち、タバコ製造所となった。当時は専売局はなく、自由販売であった。専売局支部ができ、煙草と塩が専売になったのは明治の末からである。ヒッタイ道[ママ]に徳田のヤシチと呼ばれるところがあるのはこれからである。


これは南清貿易がらみではないかと思われます。
後日会社名などがわかれば追記します。

明治期に沖縄経済の振興策として、政府により推進された沖縄と南清の直接貿易。1894年10月に那覇港が特別輸出港指定を受け、99年7月開港。琉球処分以来途絶えていた貿易の再開であったが、輸入超過などで伸び悩んだ。
http://web.ryukyu.jp/news/storyid-42457-storytopic-121.html


関連:グダグダ(β) 今と昔(久茂地)
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