ブクブク茶の復活に助力された新嘉喜貴美さんのブクブク皿を巡る話です。
戦前、[東恩納寛惇は]東南アジア旅行のお帰りに私の家に4、5日泊まられた。(略)東京へお帰りのお土産に、黄色ハチマキ(位によって色分けされた冠物)とブクブク皿と茶せんを差し上げた。
戦後の昭和33年(1958)夏、上京して[東恩納寛惇]先生のお宅へ伺ったら、玄関の飾り棚にハチマキとブクブク皿が飾られてあった。なつかしい思い出の品であった。
無一物になった当時である。先生は「ブクブク皿は返すから、沖縄へ持ってゆきなさい」とおっしゃった。私は「ありがとうございます」とお礼を言って、その品をうれしく頂いた。「お礼にブクブク作ってごちそうします」と申し上げ、高嶺夫人の経営する花風という、新宿の料理店へお客をお招きした。
客人は伊江朝助さん、東恩名夫妻、瀬長義直夫妻、高嶺明達夫妻、金城清松夫妻、国場幸太郎夫人であった。水道水を使用したので心配したが、思いがけないほど上等の泡のブクブクに、皆様よろこんでいただき楽しい思い出となった。
持ち帰ったブクブク皿で、友人12、3名集まり、家の庭でブクブクを飲んで月夜に遊んだ。久方ぶりのブクブクとのごちそうはアギソーミンと揚豆腐であった。
かざぐるま/新嘉喜貴美 p79〜81(省略と抜粋)東京の東恩納寛惇宅に避難したおかげでブクブク皿が無事だったということですね。
しかし凄いメンツが集まるもんです。
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