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バクヨー

砂糖仲買人や砂糖委託商人たちは、農村の事情を知りつくした情報屋であり、砂糖取引以外にも日用雑貨の手配から人事の往来まで、仲立ちとしての役割は大きく、次第に農村での不動産取引にもかかわっていった。
沖縄では古くから「バクヨー」と呼ばれる家畜売買媒介業者がいた。博労、または畜商のことである。バクヨーは農家の庭先を巡回して牛・馬・豚などの売買のほか、家畜と家畜、家畜と物資との交換を主な仕事としていた。また、家畜の飼育や家畜の見分け方なども指導した。バクヨーは狭い村落内における手慣れた者の世話仕事であったが近代化の中で人と物との交流が広がってゆくにつれてその活動範囲を広げていった。
ついにはシマを越えて島嶼間の交易となり、奄美諸島を含む南西諸島全域におよぶようになった。これにともなって「バクヨー」という言葉も、仲買人・ブローカー・周旋屋などと同義に用いられるようになった。
なは・女のあしあと p126


バクヨーと関連するのは下のリンク。
グダグダ 砂糖取引と宿小
グダグダ カラシヤー(貸家)
グダグダ 砂糖委託屋 2
砂糖相場と委託屋にからんだ馬車ムチャー、那覇の周辺部に出来はじめた宿小、地方人が経営していた周辺部の貸家、などの世の中の動きに関連して、都市農村間の情報と物資を担う人間の扱う事柄が多角化してゆき、単純な博労だけではないバクヨーになっていったという感じでしょうか。
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Comment

伝搬者

まったくの仮説ですが・・・。少し前までは 他地域まで足を運ぶ人間は少なかった。私の母方(M41生)の祖母の話では宮古>伊良部という小さな島社会では島中の字では鮮魚は買う物(交換)であり、生涯泳いだことがない人はたくさんいた・・・そうです。村々を行きかう人は一部の役人やそれに準じた公用人が基本であったが、それ以外の 生業につけない人々がいた、バクヨーもそう。それらの人々が文化を伝搬した。辻村へ人を売る仲介業者が存在した。『くるーすー』と今帰仁では言ってたそうです。黒主なのか?
この文化の伝搬者に魅かれております。情報を握るものが力を得る事は多いですから。鍛冶屋もそう。考えてみれば、察度王も、謝名と呼ばれた若いころは相当な あしばー であったのではないのかなぁー。偶々 読谷の たいき とかいう船主と気脈を通じて成り上がったんじゃないのかなー・・・。等と妄想してます。

Re:伝搬者

  • No Name Ninja 〔管理人〕
  • 2011-06-12 22:04
交通する者は魅力的ですよね。
糸満の人達も面白いしバクヨーや宿小が作り上げた地方と那覇の間のネットワークにも興味があります。また日本人と情報交換していた人も当然居たでしょうし越境する人が情報を得て力を持つというのは充分あり得たでしょうね。
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