県史にバクチャヤーにあった癩病患者小屋取り壊しの新聞記事がありました。
写真もあって、掘建て小屋が写っています。
バクチヤ屋下の 癩患小屋焼払る
醜い癩乞食も一掃され大那覇市に浄化の喜び
醜い姿をさらして那覇市内をあの軒この軒と一銭二銭の合力を訴へて徘徊してゐた癩患食乞の群も沖縄のエム、テイ、エル救癩運動に救はれ30名近くも市内を稼ぎ場にしてゐた男女癩病患者がそれぞれ原籍町村へ送還されたため那覇市から恐しい患者を一掃し昨今は殆ど醜い姿を消したのである、沖縄エム、テイ、エル会では彼ら癩患乞食達が温い塒(ねぐら)として巣喰ってゐた辻町バクチヤ屋下の西新町屠場前の乞食小屋が空屋同然となつたので再び彼ら癩乞食の巣とならぬ様亦市民衛生上小屋を焼払ふことになり那覇署と相談の上昨日午前10時半から那覇消防組の出動を願ひ自動車ポンプも出て警察官立合ひの下に全部焼き払ってしまつた
この癩患小屋はバクチヤ屋下海岸に面して三ヶ所に集団し、見るからに非人小屋らしく古トタンヤ[ママ]古板片で造られた見すぼらしい小屋で全部で8軒戸数にして約10戸ここに男女30名近くの癩患が生活を営んでゐたものでこの小屋にも5人の家主さんが居ゐたのである
消防隊員がガソリンをぶつかけて火を放つや忽火焔あがり見る見る間に焼失3ヶ所の小屋を見事焼き払つた、かく大那覇市には醜い癩患乞食の群が消え更に彼らの巣窟たる癩小屋が焼け払はれて市民衛生上市街美上大改革を見たわけである(写真は昨日焼き払はれた癩患小屋)
※図4「清川安彦氏 新聞切り抜き」より1935(S9)9.18の記事
沖縄県史 各論編5近代 p559(抜粋と編集)しかし554ページの同年11月19日の「一寸那覇市内を歩いても癩の醜い姿を晒しつつ門々を一碗の恵みにすがっりつつ徘徊する男女の癩患乞食を見受ける」という記事もあるので焼き払いによって一掃されたというわけではないようです。
「沖縄県史 各論編5近代 第六部第四章」の「近代沖縄とハンセン病差別」はまとまっていますので全体像についてはそちらを見て下さい。
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