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戦前の壺川

沖縄タイムス掲載の「思い出のわが町」から。想定年代は昭和5〜6年頃のようです(参照:那覇の民俗編集ニュース)。
ゼロから作っているので多少の歪みがありますのでご注意。

またピンクで示した民家には畑地の所有者名と思われるものもあるのですが、特に「畑」と書かれていないものは民家にしてあります。具体的には図の右側にある大きな敷地の部分です。

いくつかの別荘、海に近いあたりにはヰー畑(いぐさ)、そして墓地があり、泉崎と旭町に近いあたりは宅地化してきています。またブリヤシチ(群屋敷)や貸家の表示も見え庶民の住む地域だったこともわかります。

拝所と旧跡(赤と緑)、井戸(青)、後年の施設と道路(紫)など。銀バスはもうありませんが過去の地図を参照するれば参考になるんではないかと。


参考:グダグダ(β) 壺川
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東町の店舗名

沖縄タイムス連載「思い出のわが町」の「戦前の東町民俗地図」をもとに作成しました。
読み取れない文字などは省略してあります。


【追記】新聞に掲載されていた図は「那覇の民俗編集ニュース」に掲載されていた「戦前の(昭和3年頃)東町民俗地図」がオリジナルだと思われますので、上図の想定年代もおそらく昭和3年頃だと思われます。
作成者は仲宗根宗温さん、作成日時は「1975.11月」となっています。

西本町の店舗名

沖縄タイムスに連載されていた「思い出のわが町」から西本町、想定年代は昭和4〜5年頃のようです(参照:那覇の民俗編集ニュース)。

一丁目と二丁目、三丁目、四丁目、五丁目。
1・2丁目3丁目4丁目5丁目

5丁目の「比嘉賀○」は石門通りにあったきっぱん屋さんの比嘉賀重商店かな?

波之上通りの店舗名

わかさ民俗地図と那覇民俗地図、昭和4年の地図から。

※交番は昭和4年地図、見晴亭は那覇民俗地図(昭和4年地図では料亭と表記)


こちらは戦争直前の旧辻遊廓の図と船越義彰さんの「戦争・辻・若者たち」に掲載されている辻の図から作成しました。沖縄ホテルは1941年に作られています。
図中青くなっているところは○○楼などのようになっている場所です。

久米町(昭和4)

久米町。

上図は昭和初期の久米と景観推定図を基に作成。番地図も同図を下地にして作成しますが、参照している昭和4年の地図とは若干の違いがありますので正確なものにはなりません。

一丁目。緑線は道路です。
一丁目
二丁目。
2丁目
二丁目の番地。右図は堂小屋敷周辺部。
2丁目堂小

松下町(昭和4)

松下町です。那覇区全図(大4)から1・2丁目の範囲。

一丁目。緑色は道路。
1丁目1丁目
二丁目。
2丁目

旭町(昭和4)

昭和4年の旭町。

久茂地町(昭和4)

久茂地の番地図です。ベースにするのは那覇区全図(大4)です。
左図はモノクロ化したもの、右は大正と昭和での違いがわかるように描いてみました(御成橋、久米との境界、敷地など)。
那覇区全図久茂地久茂地の違い

一丁目。
1丁目1〜631丁目64〜98 
二丁目。
2丁目1〜552丁目56〜81

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