堂屋敷と堂小屋敷の違いをあいまいにしていた記事と現東寿寺跡を過去の位置と同一であるとしていた記事を修正しました。
きっかけは下記ブログを読んでいて思い出したからなんですが、ブログ主の方は現在の東寿寺跡の整備に関わられているようです。
東寿寺について その2:グランパの島からハイサイ!
http://uimaaru.ti-da.net/e3711102.html
図は
那覇区全図(大4)を加工したものです。これに
旧那覇の歴史・民俗地図に書かれている「堂の山 (a)」「忠尽堂/忠藎堂 (b)」「堂屋敷 (c)」「堂小屋敷 (d)」を書き入れました。寺の記号は上が「東寿寺(堂小)」で下が「東禅寺」です。


割と早い時期の那覇の図なんですが、孔子廟裏手の内兼久山と松尾山の間にある敷地の小さな一帯が堂小屋敷だと思われます。
58号線側(孔子廟側)からすると東禅寺、堂小屋敷、東寿寺、堂屋敷、忠尽堂、堂の山になっています。


まとまりがありませんが過去記事フォロー(言い訳とも言う)です。
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