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真和志郵便局周辺(51年)

沖縄主要地・主要商工年鑑(1951)の第十九図表から。

図は左が北で一番下が330号、右下の交差点が大浜第二病院があったところです。左にある道の特定はできていません(日野通りか共和通りのはず)。

1は図の下から共同バス修理工場(角)、新垣材木店、大秀組。そして花城書店、沖縄土建、鳴海食堂、真和志郵便局(角)
2阿嘉鉄工所、第一複製興行社、脇道に入って●セメント瓦工場(●は○に伸)、濱川組。表通りに戻って松田兄弟社(角)、八幡鉄工所、具志堅醸造所
3は真和志郵便局方向から竹中組、八重山工業協会沖縄出張所、新里鉄工所、料亭田鶴
4は330号方向からあづま材木店、田嘉里組。脇道に入って御宿冨士。表通りに戻って●金城組出張所(●は○に金)
5は図の右から伊波木工所、あがた洋装店、お宿藤屋、料亭幸楽、少し離れて三島鉄工所です。
aが宵待旅館、bが●食堂(○に和)照屋セメント瓦製作所、cが奄美会館です。

60年代の地図では2の松田兄弟社と思わしき場所は松田木工、その向いは沖縄出版があります。またこの通りは真和志郵便局通りとなっています。

【追記】1958年の市民の友(第85号)に「那覇真和志の道路改修」の記事があり「6. 3区の金宮組(旧奄美会館)前」と書かれています。戦後の那覇の区では3区はほぼ壺屋ですので奄美会館は58年にはもう無かったと推測できます。
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