比嘉朝進さんの「戦後の沖縄世相史」から。
昨年[1953年]6月1日、パチンコの許可制で80軒が開店した。スラブマシン(スロットマシン)は、ハーバービュークラブやVFWクラブで、コインを入れてガチャガチャやっていた。今年頃から軍払い下げ品で市中の営業が始まった。
今年[1954年]はゴルフ・ゲーム屋も現れた。昨年はコリントゲーム屋・玉転し屋・セラトゲーム屋が開店。50年にできたビンゴ屋はかすんでしまった。遊技場は166軒が営業している。
戦後の沖縄世相史/比嘉朝進 p64(省略と編集)50年代の住所録にはパチンコ店もあり代表者名もありますが沖縄の姓だったと記憶しています。内地との関連等はわかりません。スロットマシンは基地からというのも良く言われることです。
たから百貨店では1969年のゼンリン地図を参考にしてむつみ橋周辺の図を作りました。

この図でオレンジ色で示されているのがパチンコ店やラッキーボールです。このほかにもゲームハウスという名前もありますが図には書いてありません。
検索してみるとコリントゲームはパチンコの原型のような野球盤のようなもの、セラトゲームは検索しても該当無し、ラッキーボウルは玉を転がしてやるビンゴゲームのようなものか? こうしてみるとゲームハウスはこのような遊戯機械があった可能性もありますね。
参考:
グダグダ(β) ビンゴハウス (1952年の新商売として名前の見えるビンゴハウス)
参考:
グダグダ(β) 神里原通り (こちらにもビンゴ屋の名前が見える)
PR