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薪の運送

産地
主に国頭方面の山林、東海岸沿いの平安座、奥、久志方面、西海岸沿いの名護、許田、恩名、慶良間列島
輸送方法 
主として山原船による。
那覇にての集荷港
渡地(通堂町)、中の海(西新町2丁目)
薪炭商への運搬
フナングヮ(下泉町)の古波蔵、石原、備瀬などは中の海、渡地で山原船から大型伝馬船に積み替え北明治橋、月見橋、旭橋、松田橋の下を経て集荷していた。この際の運送費は買い主持ちであった。大伝馬船船一隻約千把くらい、久茂地河沿いの薪炭商は泊港より伝馬船で泊高橋。前島の板橋、美栄橋、久茂地橋の下を経て運送していた。
(古波鮫唯施氏談)
那覇市史資料編第二巻中の7、p418 (一部修正)

那覇の薪荷揚げ地
薪の販売業者の多い所は泊で高橋際(高橋2丁目)の通称舟口という所で業者が十余軒もここに集結し、敷場[シキバ/シチバ]には井桁やバラ積みにした薪の小山が並んで、木の香がプンプンしていた。運搬する区域は泊一円はもとより、近隣の町や首里方面にまで及んでいたが、その他の薪の陸揚げ場所は、西新町の中の海それから渡地那覇港南岸の垣花にもあった。
•泊 高橋2丁目
棚原オト、又吉、新田、塩浜、嶺井、伊波、花屋、高井、久場マカト、久高、平良カメ、平敷
•久茂地 久茂地川沿い
古堅、瀬名波、安次嶺、屋宜
•下泉町 泉崎橋際通称フナングヮ
石原世昌、古波鮫唯施、備瀬マカト(松田橋際)
•垣花
真栄里、宮里、仲間
•住吉 監獄所向い
儀間
•西新町 1丁目
伊佐、我喜屋、諸見里
•西新町 2丁目
比嘉モウシ、当間、瑞慶山、古波蔵
那覇市史資料編第二巻中の7、p293、294

図はいくつかの図を参考にして作成しました。
泊(高橋町2丁目)のオレンジ色は舟口で濃い色の点は薪置場となっていて(那覇民俗地図)、明治初年の図ではオレンジ色のあたりはシキバとなっています。ですが「写真で見る泊の変遷」などの図では塩田になってたりするのでくわしいところはわかりません。
西新町1丁目と2丁目の間が中の海。
泉崎のオレンジ色がフナングヮですが(那覇民俗地図)、明治初年の久茂地川河口が埋立されていない時期は仲毛あたりにもシキバと書かれています。

関連:グダグダ(β) 久高将正 (戦前に美栄橋で薪炭木材店)
参考:グダグダ(β) 渡地 (わたんじ)
参考:グダグダ(β) 牧志のムートゥ (安里橋のそばにタムンシチバ)
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