真和志地区南部の解放順序を図にしました。

国場川と接するところが埋立されていないので少し現在と異なっています。
オリジナルは「旧居住地の返還図(真和志村)」で那覇市史 p14からです。
旧那覇は壷屋が1945年11月、牧志が1946年5月(一部1951年)で残りの西側が1951年まで解放がなかったことを考えると真和志地区の大半は1948年までには解放されているのは早かったんですね。
この図以外の真和志北部西側では1947年に安謝、残りは1949年に解放されますが銘苅と天久は1951年に再接収にあってしまいます。現在の泊高校後方あたりは継続使用が続きました。
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