沖縄県人事録(昭和12)から崎間麗徳さんです。
崎間麗徳
那覇商工会議所議員
那覇市辻町3ノ1132
君は明治17年を以て那覇市に生る。台湾総督府経営鉄道学校を卒業後、同地鉄道部にに奉職して多年勤続し、大正7年帰郷とともに初めて本県に台湾茶の大量移入を試み、之が販売に従事せしも、其後転じて支那料理店「別天閣」を経営し、更に進んで料亭「みはらし」の経営にあたり今日に及ぶ。目下家業の傍ら、那覇商工会議所議員、所得調査員等の要職にあり、嘗て那覇市会議員に当選し多年市政に●瘁せり、他にトラバーチン採掘事業を兼営し頗る異彩ある事業かにして、天資明朗闊達、情誼に厚く然も企業的手腕に優れたものあり、以て各方面の信望大なり、殊に其兼業事業たるトラバーチンの採掘販売は、石材の豊富と優質を以て将来を最も有望視されて居り、事業的発展を期待さる。若狭波之上通りの「別天閣」、波上宮側の「みはらし」のオーナーですね。
参考:
グダグダ(β) 別天閣(若狭)ちなみに国会議事堂のトラバーチンは宮古産のようです。
検索したら面白いページがあったのでついでに紹介しておきます。
平敷屋トラバーチン
http://www.okinawajoho.net/heshikiya/body/01-04-sangyo/01-trabachin/trbchin-01.htm
最盛時代は、沖縄石材が東京の日南貿易と、勝連トラバーチンは岐阜県の関ヶ原石材とそれぞれ提携して業を進めていた。(二社で従業員およそ100人)
その後勝連トラバーチンエ業は関ヶ原分工場を平敷屋に置き、那覇市繁多川へ移転し、沖縄関ヶ原石材と改称している。PR