通称与儀タンク跡にあった那覇第2貯油施設(与儀タンクファーム)。
左図は「那覇市旧跡・歴史的地名地図」を参考に作成、青のポインタがゲートです。右は国土交通省の写真で77年の撮影です。
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=COK-77-1&PCN=C59&IDX=9
昭和27年に強制接収。那覇港湾施設から嘉手納飛行場までの航空燃料移送の中継地及び石油オイル貯蔵所用地として使用される。土地区画整理事業が施行され、現在、主に住宅地として利用されている。
http://www.pref.okinawa.jp/kichiatochi/naha2.htmここは熊本
鎮台沖縄分遣隊がいました。
図中の紫のラインの範囲が「与儀兵舎跡(分遣隊)」です。
1875(明治8)年5月、明治政府は<藩内保護ノ為>という理由で熊本鎮台沖縄分遣隊を沖縄へ設置することを決定し、翌年の1876(明治9)年7月には同分遣隊が沖縄に置かれました。
(略)下の首里那覇の絵図中、赤枠の場所が同分遣隊の宿営地です。現在の那覇市立古蔵小学校付近になります。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/2009/04/130.htmlちなみに下の図で南側にある黒い範囲が与儀タンク(だいぶはしょって書いているので正確な輪郭になっていないです)。

1972 年(昭和 47 年)日本復帰とともに撤去作業が開始されています。
【追記】まちのたね通信にガソリンタンクがあったころの写真があるのを教えていただきましたので追記しておきます。
那覇まちのたね通信 | 那覇/開放された与儀のガソリンタンク地域
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1834
那覇まちのたね通信 | 那覇/撤去前の与儀ガソリンタンク群
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1836PR