民政府住宅周辺の旧番地図です。単色で塗られた区画は同じ番号になっています。
左が番地図、右はその図に道を書き入れたものです(中央は保育園)。


道路が造られるのは区画整理と敷地の境界線のパターンが多いかと思います。
区画整理は土地の造成と敷地の区画が碁盤目に造られ、そこには平行する直線的な道が見られます。
そのうち民政府財政部長護得久朝章氏が管理している尚家の土地を開放して集団で住宅を建設するという構想を示された。家屋建設費は「復興金庫」つまり復金から借り、土地は借地料を払うというのである。那覇移動に踏みきれない者にとってこれ以上の朗報はなかった。私もこの住宅に入るべく手続きをした。
狂った季節 p230
グダグダ 民政府職員の移動この地域の中心には横断する直線的な道路があり、その道路は二つの大きな敷地(図の緑とピンク)を横切っています。上で引用した文中の尚家の土地はここではないかと想像します。右図の市立保育園(赤)があるというのもその想像の根拠です。
この区域は中央の道(と少しの例外)の他は車が入っていっても抜けられないような道が多く、中央の道路整備とそこを中心とした区画整理(土地造成)から始まったと思われます。
余談ですが隣の大原区(現在は寄宮)の番地は碁盤目に振られていて、戦後大規模な土地造成のあとに人間が計画的に入って来た歴史がうかがえるものとなっています。
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