柴田政太郎
1863(文久3)年鹿児島生まれ。1896(明治29)年に33歳で寄留、没年不詳。
柴田商店として穀物・紙類・砂糖等を取り扱っていたが、日露戦争前後に組合を組織して製革事業にも着手し1907(明治40)年に垣花に柴田製革所を設立する。
1904(明治37)年以来沖縄広運株式会社取締役、沖縄砂糖同業組合評議員・同組合長、1927(昭和2)年には那覇商工会長に就任する。
1907(明治40)年から1914(大正3)年まで那覇区会議員に連続当選、1913(大正2)年には県会議員にも当選する。
近代沖縄の寄留商人 (抜粋、編集)グダグダ 明治末期の工場で引用した明治43年の記録にも工場の名が出て来ます。
柴田製皮所/垣花/柴田政太郎/明治40.8/和象皮 山羊皮/5人真和志民俗地図では
垣花町の範囲ではないですが山下町に製皮工場が見えます。落平樋の少し北側辺になるでしょうか。
「近代沖縄の寄留商人」に琉球新報記事(大正5.6.1)が引用されていますが一部引用します。
南明治橋をわたって左へ2、3町行けば柴田製革工場がある。工場主は(那覇)区内西本町の柴田政太郎氏で、明治40年頃まではさる製革株式会社の分工場であったが、会社が解散するにあたって、其の後を柴田氏が引き受けたのである。ここで作っているのは靴の底革ばかりで、一ヶ年約四千頭分の製品があるということだ。販路は主に大阪市場で、鹿児島・熊本・本県等の需要にも多少応じているらしい。
近代沖縄の寄留商人 (抜粋、編集)PR