沖縄県人事録(昭和12)から新里康信の項目を抜粋して引用します。
新里康信の続きでもあります。
新里康信
酒造業
那覇市若狭町1ノ85
君は文久3(1863)年を以て首里市赤田町に生る。新里康昌氏の令弟にして夙に一家をなし、弱冠を越ゆるもの漸く四にして酒造業を営み、奮励努力ついに今日の大を成せり。其経営になる泡盛工場は実に50余年の歴史を有し県内屈指の老舗たり、製品の優秀亦暖簾と共に古くから県内外に知られ、殊に県外移出に於いては、夙に大阪に出張所を儲けて販路の拡張に当たり同業界に先鞭をつけており、以て君の事業的手腕知るに足るものあるべし。
孫光司君(大12)まず
新里康信では康昌さんの三男と書いてしまったのですがよく見ていなかった故の勘違いでした。沖縄県人事録では弟と書かれています。
新里康昌さんが安政2(1855)年ですから8つ違うんですね。

新里康昌さんの新里酒造が那覇市若狭町2ノ2(
赤)、新里康信さんは那覇市若狭町1ノ85(
青)となっています。
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