沖縄県人事録(昭和12)から新里康昌の項目を引用します。
新里康昌
米穀肥料商(カネコ新里商店経営)
那覇市若狭町2ノ2
君は安政2(1855)年を以て首里市赤田町に生る。幼時漢籍を修めしのみにして学殖豊富ならざれども、頭脳明確にして非凡な見識を有し、多年本県実業界の王座を占めて今日に至る。其兼営せる事業のみにても、泡盛醸造、石炭販売其他数種をかぞえ、何れも堅実な歩調で隆盛を極めており、県内随一の実業家と称しても敢て過言にあらず。天資温厚にして恭謙思慮緻密、然も心を持すること公明正大にして身を保つに節倹質朴なり、而して時勢に明るく、商機を見るに明敏にして今日の大成因なき事にあらざるえし。趣味盆栽。
長孫康保君(明治33)、曾孫雅宣男(大8)、同康三君(大10)、同光司君(大12)、同雅一君(大13)、同光也君(昭2)、同陽弘君(昭和9)、他に孫康亮長男康二君(大2)がある。酒造業だけではなく、米穀肥料商や石炭販売などさまざま事業を行っていたようです。さすが金持ちとして名前があがるカネコウだけありますね。
【追記】「沖縄県人事録/楢原翠邦編(大正5)」では安政元年生となっています。
画像は「沖縄県立図書館 貴重資料デジタル書庫」よりダウンロードしたもので画像加工してあります。

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