環状2号以前で描いた1970年頃の古島インター周辺の道を現在の地図に描き入れてみました。

現在激変中の真嘉比はもう道や集落の範囲を辿れませんね...
この図の範囲にある末吉と内間は古い形をのこしています(範囲が広がったりしてはいますが)。真嘉比もマカン道の側にある集落という形が残ってたんですが現在の区画整理で地形も道も変わってしまいました。

古い地図だと興南高校後方の道が真嘉比集落から北へ向かう唯一の道だったのがわかります(他は最初の図の左に白く描いた線路沿いの道です)。
戦前の銘苅の道筋はこんな感じです。
真嘉比の再開発で取り上げたんですが、まず土地収用で銘苅のマカン道が消え、その次に真嘉比再開発で銘苅のマカン道に繋がっていた道が消えて真嘉比部落のもともとの範囲すらわかりにくくなりました。拝所とか残してますけど部落の腰当てなどがわからなくなってしまったら半分くらい意味がないと思うんですが、どうもノリが珍獣保護とかそういうノリな気がするんですよね...
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