1951年頃の地図には現在の久茂地あたりにありました。
写真は1945年頃の米軍撮影写真だと思われます。

砂川惠姿 大黒屋経営主
那覇市10区14組
氏は1909(明治42)年宮古郡平良町に生る。郷学を卒へるや若干16才にして商都大阪に飛出し、生菓子製造の研究に専念、昭和6年12月帰郷。那覇市県庁前にて大黒屋を開業、餅菓子、生菓子の元祖として広く知られ、其商才は実業界の一明星となり、各所に支店を設け、事業の一大発展を遂げたるも終戦となり、米軍の招聘によりパン、洋菓子製造に従事して軍民の信頼を博す。其後石川にありて製菓商を再開、金武湾に其工場を有して製菓王と謳われしが、1949年現在の位置に移して昔をしのぐ大黒屋を再び経営するに至り、甘味の殿堂として君臨し、其技量はまさに他の追随を許さぬものと好評さくさくたるものあり。
琉球人事興信録(1950) (抜粋、一部直し)写真上に表示してある「大黒屋(戦前)」の位置は国場組社史に掲載されていた「昭和初期の那覇市街図」、戦後の大黒屋の位置は「最新那覇市地図(S25)」を参考にしています。
また大黒屋は後年波の上に移ったようです。
砂川
惠姿さんは砂川
恵姿とも書かれていることがあります。このブログの中でも異体字や旧字の扱いはぞんざいで一貫性が無く申し訳ないのですがどうかご容赦頂きたい。
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