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新嘉喜倫篤・新嘉喜貴美

まず新嘉喜倫篤 (あらかき りんとく)。
1892(明治25)年〜1961(昭和36)年
西本町生まれ。早稲田大学を卒業後、那覇市西本町に新星堂書店を開店、その一方で沖縄体育協会の設立に参画し、スポーツ振興に尽力した。那覇市会議員も務めた。那覇市出身。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-40146-storytopic-121.html
そして夫人の新嘉喜貴美。
1895(明治28)年〜1995(平成7)年。
西本町生まれ、菓子屋(屋号スーヤーデーク)、父景述(税官長)母マカメ。1915(大正4)年結婚、旧姓久場。
「時代を彩った女たち」より抜粋


西本町の恵まれた出身同士が結婚したわけです。
新嘉喜貴美さんは幼少時は伊波普猷宅近くに住み、漢那憲和や伊波からプレゼントを貰い使用人を使うような環境で育っています。それはともかくとして興味深いとこを抜粋したいと思います。
関連:グダグダ 伊波普猷生家跡・クバチカサ
関連:グダグダ チコンキ・蓄音機

新嘉喜は家が広いのでよく選挙事務所に使われた。

1927(昭和2)年本好きの夫倫篤が、新星堂書房を始めた。美津濃の運動用品の特約、新星堂野球チームは、人気者の知名士が集まり、波上祭の相撲大会の主催、東恩納寛惇の『憧憬集』の初版も出した。本はただ読みも許し、那覇の知識人、スポーツマン、勤め人、近くの楽器店からスピーカーで流す民謡を聞きに、泊からも年寄りが集まり、茶菓子をサービスして皆の集会所だった。武士の商法で、月末払いは集金できず、月々の東京への本代の支払いは家計で補うほどだった。

1948(昭和23)年那覇市厚生委員会、児童福祉委員の仕事についた。
戦争で孤児になった子らが、市場が閉まった後、空き箱に寝泊まりしているのを聞き、貴美は暗くなってから、ひとりで市場へ出かけた。ボスの子を探したら、7、8歳の小さな子がボスの「ター坊」で、こんな小さな子がボスかと思っていると、箱からぞろぞろと子供たちが出て来たのには驚いた。
「時代を彩った女たち」より抜粋


その後孤児たちは牧志にあった市役所にあらわれたので風呂散髪をして食事を与えたそうです。

参考:グダグダ(β) 西本町の店舗名 (西本町の新星堂)
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