「近代沖縄の寄留商人/西里 喜行」から鋳物製造販売の川畑黙志の項目を抜き書きします。
川畑黙志(1887〜1945)
鹿児島県生まれ。川添家に生まれ、のちに川畑家の養子となる。川畑家は1889(明治22)年泉崎村に鉄車や鍋類を鋳造する鋳物舎を設置する。黙志の寄留時期は明らかではないがおそらく明治20年代には養父の元へ身を寄せたと考えられる。1910(明治43)年に那覇の商業学校を卒業し家業に従事する。
1925(大正14)年貴族院互選人、1932、1939、1942にも多額納税者として互選人となる。1925(大正14)年那覇市会議員当選。
沖縄戦の切迫とともに鹿児島に引き上げ、終戦を待たず没した。那覇民俗地図には泉崎橋そばに川畑工場の名前があります。


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