
写真は下記サイト様よりお借りしております。m(_ _)m
http://blogs.yahoo.co.jp/pusan_de/2624012.html「近代沖縄の寄留商人/西里 喜行」には鹿児島系寄留商人として中馬政次郎と辰次郎の二つの名前があります。
中馬辰次郎(1856〜?)
那覇区字西38番地
出身地および寄留時期不詳。
明治30年代には穀物ならびに砂糖商、1901(明治34)年には那覇区区会議員当選、1904(明治37)にも再当選する。
古賀辰四郎・永江徳志・尚順・護得久朝惟らと鹿児島汽船株式会社設立、その後鹿児島郵船株式会社設立。
「寄留商人の団体は大坪・中馬の如き中枢人物もあって、よく統一され 移出入とも常に少なからぬ利益を挙げ、何れも巨万の身代を築き上げた」「大坪・中馬・吉田の三店は大正後鹿児島に引き上げ(沖縄県政五十年)」
「同氏は那覇区字西38番地に商店を開き、重に穀物並びに砂糖商をなし居れり。同氏の実兄中馬徳太郎氏は大阪にありて同地の商人中名望家の聞へある由なるが、目下兄弟とも鹿児島汽船会社の監査役にして、大阪にては兄中馬徳次郎氏と大坪岩次郎氏の兄大坪嘉太郎氏の二名にて、同会社の為に大に力を尽し、本県にては中馬辰次郎氏と大坪岩次郎氏の二名にてやはり同会社の為に力を尽し居ると言ふ(明治33年 琉球新報)」辰次郎さんは大正あとに鹿児島に引き上げています。政次郎さんも書き出します。
中馬政次郎(1874〜?)
鹿児島県六日町生まれ、1885(明治18)年兄の藤次郎とともに沖縄に寄留。那覇西本町に中馬商店の看板をかかげ、米穀・雑貨商を営む。1901(明治34)年兄の死亡により中馬商店を引き継ぎ、以降業務拡張し平尾商店と並ぶ那覇屈指の老舗として貫禄をみせる。大正・昭和期には日石・スタンダードなどの特約店となり沖縄経済界において確固たる地位を築く。
1905(明治38)年、大坪岩次郎・古野島吉とともに沖縄新聞を創刊し、スポンサーになる。1925(大正14)年の貴族院多額納税者議員選挙の際には議員互選人、その後1932、1939、1942と互選人となっている。
沖縄戦前後の動向不明、没年不詳。「近代沖縄の寄留商人」では政次郎さんのほうに上の写真と同じものが掲載されており、キャプションは「中馬商店(東町)」になっています。
PR