牧志近辺の知り合いに嘉数さんも高良さんもいます(笑)
1969年版のゼンリン地図をみてみると、まとまった形での居住はないですがあちこちにちらほらと見えるので他の地域と比べても高良さん嘉数さんの比率は高いんではないかと思われます。

那覇市民俗地図から牧志近辺をマッピング。
越来がギークでしょうね。ムートゥの家が中心付近にあってムラガー(井戸)もそばにあり東西にウタキがある。
東側を流れる安里川の川辺にはタムンシチバ(薪置き場)が見える。北には泊の市場もあり、新県道(国際通り)そばのガンヤー(龕屋)の前にも市場がある。
集落にはナカミチ(中道)、メーミチ(前道)、クシミチ(後道)があり、メーミチの前にはメーヌ田、クシミチ側にはクシノ田がある。
見た感じ本当に普通の集落で、のちにここが都会のど真ん中になるとはだれも予想しなかったでしょうね。
牧志の本家筋
牧志にはナナムートゥの本家があるといわれている。現在は次のようだ。
•ウーニ<嘉数家>
•ギーク<高良家>
•ウムイ<嘉数家>
•ヤマタイ<嘉数家>
•アガリ・ミジハイ<高良家>
•八幡ヌタカラ<高良家>
以上の六件だが理由はよくわからぬという。七という数字は昔から縁起がよいからでしょうともいっている。しかし屋号からみると新旧の時代の流れや、同姓からは隣接地域との関係も類推されるということだ。
大昔の話 ー 牧志の地は首里と那覇との間に介在するが住む人が無かったとか。それで王府からの呼びかけで当時人口がわりと多かった小禄村に相談があった。ギークの高良とウーニの嘉数が早めに下見に出かけた。ウムイの嘉数は用があって遅れていった。途中で帰ってくる二人が言うにはわれわれの土地は竹串を立てておいたから注意しろと、ウムイが行ってみたら竹串のある二カ所は平坦で地の利の良いところだった。仕方なくそこを避けて杜の傍の斜面に串を立てた。今でもウーニとギークは隣り合っているがウムイは先の両家の前を過ぎて坂道の突き当たりになっている。
那覇市史資料編第二巻中の7、p477PR