さんざん参考にしまくっている那覇と真和志の歴史民俗地図(ブログ内では民俗地図と表記)ですが成り立ちについて説明されているのに気がつきました。
この図は「那覇市史 資料篇 第2巻中の7 那覇の民俗」についているものなのですが、封筒に入っており、以下の文はその封筒に印刷されています。
その文から抜粋して引用します。
3.本地図の想定時期は、原則として15年戦争が始まるまえの昭和初期としたが、旧那覇・旧首里とちがい、旧小禄・旧真和志の農村地区では変遷が乏しいので、特に時期を限定せず、戦前を基準とした。
5.本地図は昭和51年末から昭和53年夏まで約2年近くにわたり、市内各自治会を始め、200余名の古老の協力と助言を得て、まず旧那覇(24町)、旧首里(19町)、旧小禄(12字)、旧真和志(23字)の町字ごとの民俗地図素案をつくり、これをもとにして、四地域の歴史民俗地図を作成、さらに地域に詳しい古老学識経験者による数回の監修を経て完成したものである。町・字ごとの小さな地図が作成されてから作られたという流れですね。たまにみかける狭い範囲の民俗地図が那覇市史付属の地図になる前の段階のものだということがこれでわかりました。
この狭い範囲での地図はいくつかコピーして持っているのですが出所はみんなバラバラです(新聞とか本)。狭い範囲の図のいいとこは当たり前ではあるのですがより細かいということです。
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