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国場のくらし

なは女性史証言集から国場で1910(明治43)年に生まれた城間さんの証言を引用します。
省略と編集をしてあります。

畑仕事は、ユイマールといって六名ぐらいずつグーなって(組になって)今日はこの畑、あしたはこの畑と仕事をしました。結婚するまでは、那覇の市場へ売りにも行きました。国場川からティンマグヮー(伝馬船)にキャベツや大根をのせてね。ほうれん草の時は歩いたりしてね。
畑はウージ(さとうきび)の他、芋、タマナー(キャベツ)、シブイ(冬瓜)、グンボー(ごぼう)、レークニ(大根)、人参、トマトなどいろいろ作りました。
畑がない人や少ない人をヒヨーのように雇い、(略 賃金説明)
ヒヨーというのは日雇いのことで一日いくらで雇われ、あとはイリチリといって一ヶ月いくらというように。p98

伝馬船はここから先、国場川から長堂川にも行って、今の津嘉山の琉球製糖の所までも運んでいました。国場川は川幅は同じだけど、今よりずっと深かったよ。それに汽車や馬車より運賃が安かった。
野菜はやはり伝馬船や馬車、汽車で那覇へ運び、東町市場で直接店を広げて売りました。だいたい七時頃から市場で売って、昼過ぎからは町まわりをしました。p98、99

クエーフニ(肥料を積む船)に畑の肥料をのせて那覇からも運んで来たよ。汲み取りしたものさ。国場川から運んだ。また那覇なんかで大きな行事があったら豚のソーキ骨をもらいにいくこともあった。骨は粉にするといい肥料になるからね。
国場の女の人達は小学生のときから野菜売りをしていたけどね。その他にフルガニコーヤー(鉄くず買い)もしていたよ。金城というフルガニを買ってくれる店があったからね。那覇の民家をまわってフルガニを集めてその店に売るわけ。 p99

私の実家の葬式のときは、識名から三人の坊主がやってきていました。当時は国場は龕がなくて上間や嘉数(豊見城)から借りていました。それからニンブチャーというのを頼んできて、葬式のときの旗を持たせたり、家の門の傍でケーンケーンと鉦を鳴らしていましたよ。ニンブチャーには死んだ人の枕元にあげたミミガーを渡しました。p104


国場の水運の利がわかりますね。汽車や馬車より伝馬船を使った方が安かったというのも面白いです。
国場川水系
この図では新橋ヌ前、仲毛ウリグチーの二箇所を書いてありますが、国場誌の「集落の名所遺跡跡地図」には十箇所の船着き場が書かれています(仲毛ウリグチーは最内部です)。長堂川はここを参考にして下さい。
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