若狭町は那覇四町(西・東・若狭・泉崎)の中の職人町です。

若狭の代表的生産物である挽き物と塗り物は若狭町大通りの裏側で生産されていたようです。「わかさ民俗地図」を参考にすれば若狭病院の裏手に漆器工場、少し行った先の海側に挽き物細工とかかれた箇所があります。

挽きもの細工(工場)を取り囲むように飲み屋(
赤)と食堂・飲食店(
紫)があります。ここの横は済廣寺山でその裏手は護国寺と波之上宮です。二つの工場周辺から若狭町大通りにかけては区画の小さな家がぎっしりと立ち並んでいて住民は職人であったようです。
それともう一箇所波の上宮のまえの通りにも飲み屋があります。ここは天孫廟の真ん前で、その前の道路には人力車の駐車場があります。
また若狭町の表通りには酒屋、写真屋、タンス屋、塗料屋、床屋、かんざし屋、洗濯屋、風呂屋、提灯屋、雑貨店、塗物店などがあり、辻に近い箇所には風呂屋が2軒ありました。このあたりには生活人相手の販売と遠方から来た人間を相手にする商売の両方があります。
また波之上宮前と停留所そばの二箇所と少し離れた那覇商業近くには人力車の駐車所があります。
那覇市史には
「西武門は久米大通りと若狭町大通りの接点、電車の上り線、下り線の待避線になっていて大きい停留所の一つであった (p34)」と書かれています。電車のことはよくわからないのですが単線での退避場所だったのでしょうか。
停留所のそばである交差点角には食べ物屋が何件もあります。
井筒屋と手打屋はたぶんそば屋ですが、田舎から来た人達がそばやジューシーなどを外食していた記述はよく見かけますから通行量の多い交差点側のこの店も商いを終えた人達の腹を満たしていたのでしょう。
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