戦前は七つ墓向かいに家政女学校という学校がありました。


茶色で現在も確認できる道路、薄い茶色が推定した道路です。破線になっている箇所は確信がない推定箇所です。
七つ墓側の川筋を那覇民俗地図を参考にして集成される以前にしました。ここは現在も元の川側にあった道路がのこっていますからわかりやすいです。
むつみ橋あたりから国際通りの裏側を通る旧道は久茂地小学校まで現在もあります。沖映通りから来た道は久茂地小にぶつかり反転して家政女学校まで弧を描くのですが、反転してからの道は現在影も形もありません(破線にしてあります)。
那覇民俗地図を見ると女学校は修正した川筋のカーブする辺りのそばにあった事がわかります。先の旧道とは別に学校の側を道路が通っていますがその道筋は公園内の道とほぼ同じであると推定しました。先の旧道は確定扱いではない破線にしましたがこの道は周囲の墓跡などから推定するとここを通るしか道がありません。
実際に公園に行ってみるとわかりますが石灰岩に作られた墓が公園内にあります(現状は未確認)。公園の造成中当時の事を憶えていますがかなり大胆に切り崩していました。
国際通りの松尾周辺も破線にしてありますがここは後日。
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