現在の久茂地小学校のそばにあった沖縄電気会社です。

電気会社に関してはweb上に詳しいpdfがあります。
Google 検索:
沖縄の電気昔話そこから引用してみると
•明治41年に寄留商人によって那覇電気の設立が試みられるが失敗
•明治43年4月に沖縄電気として設立
•八重山の石炭をイギリス製のエンジンで燃やして発電、100キロワット
•3000灯に配電し、辻から点灯が始まった沖縄電気は
才賀藤吉により設立されたようですが、この才賀という人物は全国規模で事業を展開するかなりの大物であったようです。
沖縄電気は那覇首里間の電気鉄道にも着手しますが直後に才賀の経営する才賀電機商会が破綻、沖縄電気は他の会社の管理下で事業を継続します。ですが鉄道は経営不振のため1933年に停止します。
webではWikipedia等に項目があり概略はすぐわかるのですが沖縄の電気昔話は裏話(扇風機の貸し出しとか)などもあり面白いので一読をお勧めします(pdfでめんどくさいんですが)。
本当かどうか分からん話ではありますけども例の小禄の老人の話を書かなかったのは良心だったんでしょうか(笑)。
戦争で灰燼に帰したあとに琉球電力公社が設立されます。
民間・米軍ともに、発電機を利用して細々と電気の需要をまかなっていた。米軍は浦添村(現、浦添市)牧港に牧港火力発電所を建設し、米軍の需要は全て満たされ、余剰の電力を民間にも供給することになった。
1954年に米国民政府は牧港火力発電所から発電した電力を供給する機関として「琉球電力公社」を設立し、発電と送電業務を担当することになった。
琉球電力公社 - Wikipedia【追記】
rememberingokinawaに廃墟になった発電所と発電機の写真がありました。
http://www.rememberingokinawa.com/photo/1945_hofer_photos_pg1/38
http://www.rememberingokinawa.com/photo/1945_hofer_photos_pg1/39
http://www.rememberingokinawa.com/photo/1945_hofer_photos_pg1/40PR