引き続き内間誌からですが葬送の項目に「ドーグヮーヤシチ」というのが見えました。
以下抜粋して引用します。
幹事
ダビ一切の面倒を見る。棺桶を買いに行く人(上之屋にあった)。
カニウチ(ニンブチャーとも言った)
何某が死亡したということをグソーにお知らせする意味だと聴いている。門の片隅に座を作って鉦をつるして葬式が終わるまで鉦を叩く役、ドーグヮーヤシチ(クニンダ)に行って頼んで来た。一人から二人であった。
坊さん連絡
約束の時間になると徒歩で来てお経をあげてくれた。一人から三人であった。末吉遍照寺の住職が来てくれるのが多かった。
出棺
ヤーゼー箱(葬式に必要な小道具入れ)持ちが先に行く。しばらくして頭に白紙を巻いた傘をさして個人の位牌、つづいて相続人とお坊さん、親戚の男、一般会葬者の男、コー、親戚の女(泣き人)、一般会葬者の女、最後にティンゲーを持ったカニウチと続いてゆく。
(略、墓におさめてから)坊さんがお経をあげ、供物を供えて会葬者が手を合わせて冥福を祈り、最後にカニウチが手を合わせ鉦をならして「後生極楽ウトーイミセービリ」と結んだ言葉が印象的であった。
内間誌 p73(省略編集)興味深いのは棺桶を買いに上之屋へゆくというところと久米村の堂小屋敷に鉦打ち・ニンブチャーを頼みにゆくというところでしょうか。ニンブチャーは引用した通りのことをするのですが半ば賤民扱いされていたようです。
鉦打ちやニンブチャーはよくわからないので保留にしておきたいのですが、那覇近郊部落の葬儀で久米村まで呼びにいくなら真和志などでも同様であっただろうなと思います。
ニンブチャーやチョンダラーは本等もあるようなので読んでみてから考えます。
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