那覇市史には割当地問題も取り上げられてあります。
その資料の中に割当地の土地評価によって賃貸料を決めた経緯が収録されています。この資料から1951年の那覇はどこが高評価されているのか(=商業地として栄えているのか)がわかりますので引用してみたいと思います。
借地料は等級でランク付けされていて一等100円、二等80円、三等65円、四等55円となっています。等級はその下のランクも細かく評価されてゆき十何等まであります。
ですが五等で45円、十等で25円、十三等で17円となっているように1〜4等は別格の高評価をされていることからこの土地が中心的商業地であったことがわかるかと思います。
以下「那覇市史 資料編第3巻の1 p286-287」から一等から四等迄を引用します。
割当土地賃貸料調査票
市場通り入り口(一区十四組友寄商店より沖陶社前までの通りに面せる両側)
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民衆百貨店より丸国マーケット十字路及西方へ右折し朝日商会付近並に同商店向かい小路に入り安次嶺商店まで通りに面せる両側
栄橋より共和商会までの両側
栄橋より川沿い千歳橋まで通りに面せる両側
1区10組かめや履物店より幸喜商店までの両側
1区14組新垣美装院より栄橋までの両側
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丸国マーケットよりローズ写真館十字路までの両側
1区鉢嶺時計店より沖縄バスまでの両側
栄橋より西方我部川沿い一区の境までの両側
三共デパート路地三通路(一等地の通りを除く)
果物市場(山城時計店)次より新栄橋までの両側
共和商会次より一品香食堂までの両側
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神里原ローズ写真館の次より丸金デパートまでの両側
よろづ食堂次より青柳食堂を経て知名薬店前迄の両側
琉銀支店より青バス前十字路までの両側
新田家具店より開南売店迄の両側
我部橋より栄橋へ川沿い10区の境界迄の両側PR