那覇・真和志を縄張りとする当方としては範囲外ですが、儀保十字路から松島中学校までの道についても補足しておきます。
マカン道(西側)の続きです。
正確には儀保十字路から病院に入る手前まではマカン道ではないらしいのですが、繋がってる道でもあるし、首里からマカン道に向けて進む際に必ず通る道ですので取り上げます。
1956年発行の「真和志市誌」の道路の沿革の項に「首里・真和志間の道路」の道筋が書かれている。その一つとして次のルートがあった。
首里、儀保ー宝口(真嘉比、古島)ー東原ー前原ー安里後原ー神無良川原ー崇元寺に至る
首里から真和志への一つのルートは首里儀保からマカン道を通るものであった。マカン道は環状二号線を儀保十字路から西に下ると切り通しにかかり、それを過ぎたあたりから始まっていたという。儀保辺りの古老はその一帯の道を含めて「タカラグチャー」と呼んでいたと話しておられた。
(略)
環状二号線を儀保の十字路から西の辺へ下り100メートルほどもゆくと、左手の方(南)に道がついている。川沿いに細い道を川の流れに沿って行くと石畳の敷かれた坂になりその下りきったところが宝口樋川といわれているところである。樋川を過ぎて50メートルほどもゆくと環状二号線に上る。その一帯を宝口と言っている。
宝口の辺りは切り通しとなって環状二号線が伸びている。左手に坂道が伸びてゆくが上り詰めた右手には名渡山工芸館がありその先は行き止まりとなっている。この古い道は現在の道より8メートルほども高い場所があった。
那覇市立病院の東沿いに南の方に伸びる道は拡張され、道沿いには宅地が造成されている。病院の南側の丘陵地には松島中学校がある。学校を過ぎて100メートルほども進むと北東から西へのびる道と交わる。その地点までは現在の道とマカン道は重なっていたことは確かだが、道が拡張されているためマカン道の確かな位置はわからない状況にある。
北東(左)の方に下ると、古島の集落があり、古い地図に「古真壁」と書かれている場所である。
沖縄県歴史の道調査報告書〈4〉 p126-p129(要約編集)報告とは違うのですが「古真壁」を書き込みました。
>北東(左)の方に下ると古島の集落があり古い地図に「古真壁」と書かれている場所である。図は北が真上で右が東、左が西です。儀保から下ってきて病院の角を曲がり中学校を過ぎて交差する道を左折なら北ではないので誤植ではないかと思われます。地形的にもこの図の範囲で一番低いのは川なので下るという表現も条件に合います。
名渡山工芸館のある場所は環状二号線からかなり高くなっています。環状二号線のそのあたりは崖のようで大規模な切り通しにより道を造成したと思われます。ちょうど消防署の辺りになります。
ポインタは工芸館、太線が切り通しと思われる区間、消防署は工芸館のほぼ向かいです。
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