
米軍の地図にマカン道があったので書き込んでみました(紫)。色の薄い箇所は真和志民俗地図とは違う道筋、破線が民俗地図での道筋です。
シュガーローフ(安里五二高地)は現在安里配水池公園になっています。
シュガーローフの戦い - Wikipediaシュガーローフの戦闘 (日本軍名称 安里52高地の戦闘)シュガーローフは慶良間チージのことです。
マカン道は儀保の辺りから古島の松島中学校後方を通り、真嘉比、慶良間チージ横、安里と繋がっています。
沖縄県歴史の道調査報告書〈4〉にマカン道についての項目がありますが、ここでは古島から西側の道筋について引用したいと思います。
残りの道はマカン道(北)で追記しました(2010.12.10)。
「古真壁」(古島)への交差点から真嘉比への道は、マカン道の跡であり、道幅も三メートルから四メートルあり、マカン道の面影を残している道筋である。道筋に沿って住宅が散見するが、道沿いはほとんどが原野であり、樹木の影に墓が点在している。
県立博物館所蔵の「琉球那覇港及び首里間之図」によると、マカン道は「ケラマ盛」と「葛川盛」(カンタカワモリ)の間を通っていたことになる。(略)水タンクのおかれているところが地図にある「ケラマ盛」であり、安里の人々が「ケラマチヂ」と呼んでいる場所である。
崇元寺石門の南東に又吉道路に面してサンプラザホテルがある。その建物の南東に接して幅四メートル足らずの道が北東北にのびている。現に使用されているこの道がマカン道の跡である。三メートルほどの道幅のことろが多い。戦前のマカン道もその程度の道幅であったという。
沖縄県歴史の道調査報告書〈4〉 p126-p129(要約編集)
崇元寺のほぼ並びにあるホテルの脇がマカン道の安里側入り口だったということですね。自分はもう一つ先の道かと思っていました。
マカン道は神無良川原(カンラガワバル)を通ります。それにからんで調査書はこう述べています。
道をのぼりつめた辺が神無良川原であり、「カンタカワモリ」はその一帯の一番高い場所に付けられた呼び名であったものと理解している。「葛川盛/カンタカワモリ」はチャーリーヒルのことで現在のDFSあたりでしょう。
この報告書の記述は基地の金網があった頃のものなので金網までどういうふうに繋がっているかという風に書かれています。しかし現在基地の金網は無いですから金網の存在も想像するしかありません。
そして基地の中の道跡は確定が難しいだろうとも書いています。
神無良川原についてはよくわからんことがあるのですが又別の機会に考えます。
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