ガーブ川河口(美栄橋)付近の地形を書き込んでみました。

参考にしたのは「戦前の牧志町民俗地図」「那覇民俗地図」です。
まず現在のガーブ川ですがむつみ橋から現美栄橋付近に向かって直進し七つ墓手前で左折してゆきます。沖映劇場の向かい側は図で灰色で示したように墓地地帯の高台になっています。灰色は墓地地帯と表記されたところですが周囲より高く石灰岩の塊になっています。緑はgoogle mapで木が生えていると確認できる箇所です。
google map:美栄橋現在緑が残っている箇所、墓地、高台はほぼ一緒です。開発が困難、墓地の撤去が難しい、権利関係等理由はいろいろ考えられますがともかく残っています。
図をみて分かるのは山形屋周辺の高台とガーブーの水面よりは高い牧志集落の間を水が流れているということです。ガーブーが左折しても左側は現緑が丘公園の高台で右側は七つ墓の間の低地を流れています。
長虹堤の途中にあった入り江の側は現在も墓が残るこんもりとした丘で、ガーブーから分岐した流れが入り江に繋がっていたとしても高台の右側を流れるしかありません。
浮島(那覇)で海岸線の形成について考えましたがこの低地は古海岸線の様子を反映しています。

図の左が長虹堤の建設によって右の図へ変化していったわけです。島小の入り江というのは右図の前島付近にある白いところでしょう。図には書かれていませんが明治期の地図にはこの入り江はガーブーと繋がっているとされている。
島小入り江周辺の背後は現在整地されて空き地ですが周囲からわずかに低いのが確認できます。また不自然なほど真っ平らでなんらかの整地が行われたと考えるのが自然でしょう。
また沖映通りのそばは大通りから入るとすぐ少し低くなっている箇所が多いです。
結論は特にありませんが(汗)墓がある箇所はだいたい石灰岩の高台になっていること、過去の地図でみるかぎり平地はあまり土地利用が行われていないこと、改修される以前の那覇の河川沿いは低地になっていること、などからガーブー周辺は川に向かう緩やかな傾斜の湿地と石灰岩の墓地地帯だったと考えます。
ガーブー周辺の基準面は沖映通りではなく周囲の少し低くなったあたりでしょう。
沖縄の海岸でよくある岩の岸壁やキノコ岩が古海岸線の時代の美栄橋の風景だったはずです。
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