那覇のユーチヌサチとスーヌサチです。

ユーチヌサチ(雪の崎)は若狭町、現在の小学校あたりです。スーヌサチ(潮の崎)は辻町で削り取られてしまって跡形もありません。
説明を引用します。
ユーチヌサチ /'juucinusaci/(名詞) 地名 雪の崎
地名。海に突き出た石灰岩の丘。那覇市若狭町二丁目にあり、拝所があった。現在はそこに若狭小学校がある。
http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN51806
スーヌサチ /suunusaci/(名詞) 地名 潮の崎
地名。辻の名所であった岩壁のこと。戦後、開発によって削りとられ、現在は平坦な土地となっている。
http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN50896ユーチヌサチ後方には上ノ毛という場所があり墓地となっていたようです。また上ノ毛のそばには坊主墓と護道院がありますがそこは黒金座主(耳切坊主)がいた場所です。
スーヌサチ周辺には硝子工場や那覇市立屠場がありました。またバクチャヤーと呼ばれた貧民窟も存在していたようです。
バクチャヤー /bakucajaa/
那覇若狭にあった貧民窟。こじきやハンセン死病患者。
http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN30120ムヌクーヤー /munukuujaa/(名詞) 物乞い
乞食。物乞い。辻町のバクチャヤーに集まって生活していた。中にはその大将であるムヌクーヤーテーソーがおり、乞食たちを取りし切っていた。
http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN51725物を乞う人(ムヌコーヤー)の大将(テーソー)が仕切ってたわけですね。
海岸沿いはこの世とあの世の境界、聖なる場所にもなり穢れが吹きだまる場所にもなりやすい気がします。
【追記】ユーチヌサチは雪の崎となっていますが、景観が斧(ユーチ)に見えたことから斧の崎(ユーチヌサチ)とも言ったようです。
ユーチ /'juuci/(名詞)
意味:小型のおの。手おの。よき。
http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN41460那覇まちのたね通信 | 都市計画/終戦後のユーチヌサチ
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