「那覇の民俗編集ニュース」から久茂地の「今と昔」を引用します。
ソニーの土地は旧家友寄家のもので、当山医院、その隣接地帯は徳田ヌ屋敷跡で琉銀本店裏を流れる曲がり角はアガリヌサチ、セーヌ神はスバル会社の通りで、50メートル先右側に市長官舎があった。今はホテルとレストラン、大典寺裏の洋裁学院から寺向いの駐車場は南風原家の土地で、3000坪あったといわれている。日銀の通りは病院小路、商業高校前には旧地主が住み、福永、呉屋、勢理客、新崎、桑江家と、あのチンマサーは58号線にとられて跡形もなく、潟原マチグヮーは若松通り北側にある子供遊園地がそれである。
松下レーンは沖の宮ウーチヌ寺跡、サントリー販売会社はウエヌミチヌ玉那覇酒造所跡、シッタイミチは渡久地万年筆ビルの横の通り、一銀の沖縄薬品裏の道、西口久茂地川の水道橋近くの那覇外科は美栄橋にあった大城酒造所があったところである。70年代の証言ですから今ではわかりにくいとこがありますし、「那覇市旧跡歴史的地名地図」とは少しずれている所もあります。
「
チンマサー」はチンマーサーでおそらくイベガマのことですが那覇市旧跡歴史的地名地図では58号線そばではありますが道路にはなっていません。文中のソニーは電波堂ビル、松下レーンは今はない松山のボウリング場、シッタイミチは久茂地大通りのこと、水道橋は電波堂の前にある水道管のこと?
この記述は「戦前の久茂地民俗地図」と「那覇民俗地図」を見ないとピンとこないかもしれません。
久茂地川から海側は戦後の開放の際に区画整理が行われていて戦前を推定するのが難しいのですが、地主が商業高校前に移動していたのがわかったのは収穫でした。
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