南条みよしさんのデング熱流行体験です。
この年(1931)年の夏休みだったと思いますがデング熱が大流行しました。どの家庭でも一家が枕をならべて寝ていました。毎日のように隣組から死者が出て、一日中物悲しい鐘の音が流れていました。デング熱の病原菌は港から侵入、那覇港の西、通堂一円から那覇市内全域にひろがり、首里、中頭、島尻、国頭と沖縄本島全域に蔓延したようでした。私は薬を飲んだおぼえはなく、ただ頭を冷やされただけしかおぼえていません。
夏休みがすんで二学期が始まると、お友だちの顔はやせこけ、頭の毛もぬけて、以前の面影をとどめない姿になっている人がいました。それでもみんな生きていたことを涙を流して喜び合ったものです。
私の戦後史 p252 (抜粋と編集)蚊を介して感染する南方系の病気のようです。
また、民間レベルでみなすと、沖縄では、大正4年と昭和6年に大流行があった、とされています。その昭和6年に沖縄で大流行した時には、それが鹿児島県まで入って来た、といいます。
また、昭和8年には和歌山市のある工場で、沖縄県で募集して来てもらった女性の工員さんからデング熱が広がり、35人がデング熱にかかった、という記録があります。いずれにしても、それまで日本本土でのデング熱の患者の発生は軍隊内か、沖縄を介したもので、患者の発生は散発的で、大流行には至りませんでした。ですから、昭和17年において、初めて日本本土の広範囲で、デング熱の大流行を経験することになるわけです。
http://pws.prserv.net/maki-j/dengue.htm検索していたら興味深いpdfを見つけました。所報12号(1978年)に掲載されています。
沖縄におけるデング熱の疫学 Ⅰ.流行史と住民のHI抗体保育状況
http://www.eikanken-okinawa.jp/syoho/shoho12/image/104-114.pdf
http://www.eikanken-okinawa.jp/ pdfによると最初の流行は1893(明治36)年で収束が1955(昭和30)年、その間大小あわせて十数回の流行があったようです。
年表では1931(昭和6)年の流行時には患者数53129人、死亡470人(死亡率1.7%)、ただし患者数はこの数倍はあったとの意見もあるのでおそらく南条さんのようなケースはカウントされていないのでしょう。
pdfでは生年別に抗体保有の割合を調べていて昭和17年以前が保有割合(陽性率)が高いとされています。また保有割合にも地域的な偏りがあるようです。
難しいことはよくわからないのですが(すみません)かなりの大流行であったことわかるのは興味深いです。
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