与儀(ユージ) 2で
>射撃場側の「イバヤ」ですがなんであるのかわかりません。
>しかしその北に存在する橋は真和志民俗地図ではイバヤ橋と称されていて関連があると思われます。
>またこの橋はヒータイ橋(兵隊橋)とも呼ばれていたようです。と書いたのですが少し関係のあるような(?)記述があったので引用してご紹介。
その旧番所からの村道を列挙すると、
(1) 那覇に通ずる中央線道路は、番所から真和志尋常小学校前を通り与儀射的場、振興橋(別名射場[イバ]ヤ橋)を渡って与儀試験場用地を横切って神里坂(カンザトビラ)を上り、汪樋川、城岳、泉崎を経て泉崎へ至る。神里坂は高い場所で見晴らしがよく一休みする所で有名だった。
上間誌 p48日本軍与儀射撃場は射的場とも書かれていることがあります。振興橋は真和志民俗地図では大石原の北部に存在するクチャガーラグヮーにかかる橋として示され、射撃場を横切る橋はイバヤ橋と書かれています。
一番上の与儀集落の図では与儀射撃場の外形を大分はしょって書いていて、じっさいは黒く塗ったイバヤのようなくっついた小さな四角形が左右にいくつかあります。射撃場に俗名のイバヤ(射場ヤ)を付記していたのを一番近い四角につけられた名称だと自分が勘違いしていたと思われます。多分イバヤは「射場屋」でしょう。
話が逸れたのですが、上間の番所から坂を下り、寄宮十字路の真和志小前を通ってから大石原に回り開南の神里坂を上るという道筋は不自然です。図は神里坂までを書き込みました。

図の上にあるのが民俗地図での振興橋です。
神里坂(カンザトビラ)のビラですが、
傾斜道を指すに、サカ地名は皆無で、坂道にはヒラ地名が付与されている。
坂道を下から見るのがヒラで、上からはサカと呼ばれる。原(ハル) 毛(モウ) トー引用したようにサカ/ヒラのヒラの変化したビラです。
ちなみに神里坂から汪樋川周辺の小さな一帯が樋川原(ヒガワバル)、その右手の一帯が神里原(カンザトバル)です。
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