
図は「泊前島誌」の「島小周辺要略図(戦前)」を参考に書き入れたものです。「有銘(酒屋?)」と描きいれてありますが元の図ではただ有銘とだけ書かれています。宮城酒屋と糸数酒屋は元図のままです。
有銘酒造所について「泊前島誌」から引用します。
戦前沖縄県には凡そ71軒の酒造業者が居り、県内外に広く販売網を広げ沖縄県の経済発展にすばらしい成果をあげていた。前島町には糸数酒造所と私の有銘酒造所があり、今を遡る明治26年創立以来昭和19年の末まで凡そ50有余年にわたり操業を続け小規模ながら庶民に親しまれていたが沖縄戦による鉄の暴風によって徹底的に灰燼に帰した事は誠に憤激を覚えるものである。
泊前島誌 前島の酒造について/有銘普喜 p372(編集と抜粋)「写真で見る旧泊 崇元寺町 高橋町 前島町の変遷」の52ページに「大正末期の潟原」という写真があり、写真中に番号が書かれて内容が説明されています。写真は十貫瀬通りから三坂鉄工所を手前にして前島や泊を背景にしたものですが、右手の方の13番に「有銘酒造所及び住宅」と説明された建物があります。
冒頭にあげた「泊前島誌」の図を見ると前島板橋小のそばに有銘という名前があり、写真での位置とほぼ同じなのでここが酒造所だったと思われます。
参考:
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