泉崎大ミチ(
赤)です。
左図ですが、仲島小堀(
青)と旧琉球新報社屋そばの実線は「琉球の都市と集落」と「那覇市旧跡・歴史的地名地図」から、開南小学校から南側の実線は現在の道路筋から、その先の破線は那覇/真和志の両民俗地図を参考に適当に引いてあります。
右図は「那覇市旧跡・歴史的地名地図」を参考に左図であやふやだった箇所を書きました。


この道は泉崎橋から県庁そばを通って獅子松尾がある上泉町のはずれまでまっすぐ抜けてゆきます。そしてそのまままっすぐ行き楚辺尋常小学校(現城岳小)のそばを通り、字楚辺美武田原(ミンタバル)を抜けて古波蔵部落まで続きます。どこまでが泉崎大道かはわかりませんがたぶん上泉のはずれくらいまでではなかったかと思います。
与儀の暮らしでとりあげた農家の城間さんは
「葉野菜が取れたが洗わなければいけないので洗い場に行き、そこから近い東町やハシグチの市場へ行った」と語っていますが、与儀から東町市場や泉崎橋付近の橋口マチグヮーへは、裁判所そばの坂道を上って城岳小学校付近から泉崎大通りに入っていったと思われます。
ピンクの線は鉄道跡ですがこれは別項にて。
PR