那覇市史から垣花の項目を引用します。那覇の対岸は住吉町、垣花町、山下町です。
垣花町
住吉町の南東部で旧湖城村である。対岸の渡地と君南風の遙拝所との間に昔から明治中期ころまで渡し船があった。那覇から島尻への交通の要所で、ここから住吉町との境界になっている道を南西に進むとガジャンビラに出て糸満街道につながる。
垣花には農業神の土帝君があり、上の棚という台地もあった。生業は通堂仲仕、荷馬車業、織物業、染物業、農業等であった。
産業は秋山織物工場、浜田造船所、谷鉄工所、沖縄製氷、具志堅味噌醤油、川上醤油、当間酒造などである。公共的なものは、沖縄水産試験場、垣花郵便局、垣花市場、高良医院、袋中寺などがあった。
那覇市史資料編第二巻中の7、p37戦前の垣花はその大半が那覇港に仲仕として働いたのと、那覇に食をもついわゆる勤め人であったので農村社会とはことなあった那覇市街近郊の性格を新たにした村であった。農村地域で見られるサーター組みなどの共同作業組織はなかった。
部落の共有地は湖白の御嶽、儀間の御嶽、地頭火の神、クムイなどがあった。部落のグムチは覚えないが現在門中で行って学事奨励会の費用にあてている。部落は那覇港に面して立地しているため宮古、八重山からの寄留民も多かったが、大正時代に首里三カから、イシチャーグヮー(石川小)、津波古、知念ほか一軒が転入して酒屋を開業していた。
那覇市史資料編第二巻中の7、p54
当間酒造は当間重民がやっていた酒造所でしょうか。
那覇民俗地図ではすぐ下の山下町にも酒造所のマークがありますが、落平樋川もあるくらいですから酒に必要な水の質は良かったのでしょうね。
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