カニクです。過去に
兼久というのを書いたのですが... ともかく前島の兼久、塩田だった兼久です。

図は「わったあ兼久/知念良雄」付属図を参考に作成。
兼久は安里川河口の泊高橋交差点脇ですね。那覇の全体図では中央上部の道路が横断している水色の部分になります。

この図でも少しわかりますが、泊高橋以北の昔の道は58号線よりかなり西側を通っており、現在の58号線の上之屋のあたりは泊旧集落の上を通っています。ゆえに泊高橋も現在より海側に架かっています。
そして道筋の細かな違いや兼久集落まで58号線が飲み込んでしまいました。
兼久・前島・泊は戦後米軍の物資集積所や部隊が駐屯し1955年の解放まで暫く待つことになります。その間この地域の米軍は
朝鮮戦争(1950 -1953年)のバックアップをしていました。
1947年
1月 寄宮十字路の東側一帯と安謝部落に居住許す
1954年
1月 泊埋め立て地落成
壺川、久茂地、若狭の軍用地2.4万坪解放
具志、宮城両部落の軍用地一部解放
4月 辻町の一部解放
1955年
5月 前島町の軍用地5万坪解放
6月 旧泊、古島区2.4万坪解放
1956年
4月 泊二丁目解放
立ち入り制限(2)より
米軍が埋めたスクラップで大もうけとかそういう話もあります。
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