大石公園前の辺りは川沿いの低地と繁多川の丘で複雑な地形になっています。
図は真和志民俗地図を参考に作成。

真和志民俗地図では橋あたりの道は川のS字のそばを通っていたと読み取れるように描かれています。
この付近の図はいくつかあって読み取れる情報が異なっています(ややこしいのです)。一番左が真和志民俗地図、真ん中が「最新沖縄県番地入り地図」、右が「那覇市旧跡・歴史的地名地図」をそれぞれ参考にしたもの。

繁多川の坂道、右下に進んでゆく識名に行く道、左下から来る大石原からの道はどれも同じです。
近隣との関係はこんな感じ。

ウフシ毛から大石公園にかけての高台と川の作ったであろう低地、そこへ上間や識名から他の部落へと繋がる道が通っています。
政府住宅前から大石公園前の道は、繁多川からくる道と識名からくる道、そして上間から下りてくる道をつなぐ道だったようです。そしてこの一帯には集落は無かったようです。
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