戦前の漁業権の範囲です。右図は浦添市史を参考に作成しました。
左は以前作ったもので、右は今回1945年の空撮写真の上に書き入れたものです。右図は干瀬を意識して書き入れてあります(左では意識していません)。
元の図も概略的なもので、この二つの図を作った自分もいい加減なのでこのブログでの図などはこの程度の正確さとご了解くださいませ。m(_ _)m


浦添市史から引用します。
小湾の地先専用漁業権は漁場位置およびその区域を次のように定めている。即ち、漁場位置は沖縄県中頭郡浦添村字小湾地先である。基点甲は字仲西と字小湾の境界であり、乙は字小湾と字勢理客の境界である。基点丙は那覇市安謝即ち、当時の島尻郡真和志村にある人殺岩であり、現在でも形は変わっているものの現存しているという。この基点と沖にあるイ、ロ、ハの三点を各々に結んだものが図の小湾の漁場区域となるわけである。
浦添市史第4巻資料編3 p101、102イロハの点は描きいれてありませんし、小湾の位置や甲乙丙の各点の位置も検証してありません。ここで着目したいのは那覇市安謝、当時の真和志村安謝にあった人殺岩です。安謝部落から現在の58号線をこえた海側あたりにあったようなのですが、この辺には義理地原があります。そこらへんからの名称なんだろうなと思いますがそれ以上の情報はありませんし、例の刑場の位置も実際よくわかりません。
そしてオチも結論もありません。
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