1927(昭和2)年11月11日の沖縄タイムスから。
独立御知らせ
従来は高安高俊君の援助の下に経営して居りましたが県下多事の際同君の活動にまつもの多き為め当カフエーは私だけで経営する事になりました。御客様とコツクの直接の取引は料理の第一要件であります。向後○層の努力はの価格質量上に表れます。一層の御引立を願ひます。女給も揃つて御待ちして居ます。
和洋琉御料理
辻前之毛花崎通り カフエーすヾめ
コック 経営 伊是名朝義
△和洋料理 三十銭と五十銭
△懐石料理 五十銭均一
△日本料理 一品五銭以上十五銭
△洋 食 十五銭以上三十銭
●離室は十五六名の会食が出来ます調べてみると高安高俊は芝居関係で名前が出るようですが「
日報の沖縄人名録 昭和12年版」では料理業として「天狗 高安高俊 辻町1ノ77 電109」とあります。
伊是名朝義は社会主義者のようです。「
辻前之毛花崎通り」の花崎は前ノ毛通りにあった花咲のことでしょう。
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